自由民権運動家・河野広中の志を継いで 12月4日に三春で百回忌

 
河野広中の晩年の写真を見つめる佐久間さん。「没後100年を民主政治を見つめ直すきっかけにしてほしい」と訴える=三春町自由民権記念館

 自由民権運動家で福島民友新聞創始者の河野広中の百回忌法要が12月4日、出身地の三春町で行われる。関係者は、本県が輩出した政治家の没後100年の節目を「民主政治を見つめ直すきっかけにしてほしい」と訴える。

 河野は藩閥政治に反対し、国会開設や憲法制定を求めた明治初期の社会運動「自由民権運動」に尽力。晩年は、選挙権を拡大する「普通選挙」実現を目指した。1923(大正12)年12月29日、74歳で死去した。

 河野の死を悼み、三春町の有志が毎年夏に供養行事を催していたが、参列者の高齢化により、20年ほど前から活動が途絶えていた。没後100年を前に、自由民権運動家の子孫らでつくる「三春地方自由民権運動血縁の会」が中心となり、百回忌法要を企画した。町内の紫雲寺で関係者が出席して行う。

 同会の佐久間真さん(84)=三春町=は「河野の志を支える人たちはたくさんいた。その志を伝えていきたい」と話す。佐久間さんの曽祖父にあたる昌後(まさつぐ)さんは、小学校の校長を務めていた。昌後さんの兄弟は河野らと共に政治結社「三師社」を設立しており、昌後さんも自由民権思想の普及に汗を流した。

 しかし、政府の弾圧は厳しく、昌後さんは警察の取り調べを受けるようになった。その結果、教職を離れざるを得なくなったという。佐久間さんは「校長になって『さぁ、頑張るぞ』という時に、辞めなければならなかった。つらかったはずだ」と胸中を察する。

 佐久間さんは曽祖父の背中を追うかのように、中学校の社会科の教諭になった。自由民権運動の項目では「日本の転換点になる出来事だったので、特に時間を割いて教えた」という。

 河野が生きた時代から、選挙権は拡大した。女性にも認められ、年齢は18歳まで引き下げられた。その一方で現在は、いずれの選挙も投票率の低さが大きな課題となっている。

 「河野たちは民主的な政治をつくろうと命懸けで運動を進めた。その遺志が今に伝わっているのかと、疑問に思うことはある」と佐久間さん。「彼らの志を忘れないで。河野の没後100年を、民主主義について考える契機にしてほしい」と力を込める。