【食物語・会津のそば】 -高遠- 会津藩祖・正之が広めた「信州流」

そばは、しょうゆベースで鰹出汁(かつおだし)の風味が利いた江戸風のそばつゆで味わうのが粋。そんなそば通の常識を覆すのが「高遠そば」だ。そばつゆの代わりに大根おろしの搾り汁とみそを使う独特のそば文化として会津の一部で根付いている。全国的な知名度は低いものの、現在主流のそばよりも歴史は古い。
高遠そばは、その名が示すように高遠藩(長野県伊那市高遠町)が発祥の地。直線距離でも200キロ以上離れた会津に伝わった経緯をたどると、卓越した指導力を発揮し、名君として名を残す会津藩祖、保科正之がキーマンに浮かび上がる。江戸時代初期に徳川2代将軍秀忠の四男として生まれた正之は、幼少期に高遠藩の養子に迎えられ、後に藩主を務めた経緯があり、高遠そばは身近な存在だった。伊那市の伝承によると、正之は無類のそば好きとして知られ、城では客人へのもてなし料理として高遠そばを振る舞った。1643(寛永20)年、国替えで会津藩に移る際に、そば職人も連れて行ったことで、会津でも高遠そばが広まったとされる。
◆あるもの工夫
ではなぜ大根おろしの搾り汁とみそで味わうのか。同市で高遠そばを核に地域活性化を目指している「信州そば発祥の地伊那そば振興会」の会長を務める飯島進さん(62)がルーツを教えてくれた。飯島さんによると、高遠藩の城下町だった同市高遠町は、平均標高約900メートルの山間部にあり、稲作に適さないため、寒冷でやせた土地でも育つソバの栽培が昔から盛んだった。ソバはコメに代わる日常食で、現在と同じく、細く切ったそばが食べられていたと伝わるが、江戸初期の当時はしょうゆが普及していない時代。海から遠い上、貴重品だったかつお節など出汁に使う海産物も手に入らなかった。
そこで、住民はソバと同じく生産が盛んだった大根の搾り汁でそばを味わってみた。搾り汁だけでは辛味が強すぎたため、酒のつまみとして親しまれていた、焼いた信州みそを溶かし込んでみると、辛さが和らぎ、そばと見事に合ったという。飯島さんは「身近な食材を組み合わせて、何とかそばをおいしく食べようとした先人の知恵と工夫が高遠そばを生んだ」と感慨深げに話した。
◆爽やかな辛さ
実際に高遠そばを味わってみようと、連日多くの観光客でにぎわう下郷町の大内宿「三澤屋」を訪ねた。店主の只浦豊次さん(62)お薦めのそばに大根おろしの搾り汁をかけた「高遠そば」と、そばを搾り汁につけて食べる「水そば」を注文。いずれも同店名物のネギ丸ごと1本が添えられている。高遠そばをすすると、爽やかな大根の辛さがそばの味わいと見事に調和し、後を引く。水そばには、現代人の味覚に合わせたという焼きみそ代わりに、擦ったクルミが添えられており、汁に入れるとまろやかな味わいを楽しめる。「そばはそばつゆで」と記者がひそかに抱いていた先入観は完全に払拭(ふっしょく)された。
(写真・上)発祥の地の高遠町でも細く切ったそばが食べられていた(写真・下)職人によって手打ちされるそば。新そばは香り高い
≫≫≫ ひとくち豆知識 ≪≪≪
【「ねぎそば」婚礼で食べていた】大内宿の食の名物と言えば、ネギ丸ごと1本が添えられた「ねぎそば」。ネギを箸代わりに、そばを食べながら薬味としてかじる。見た目のインパクトも話題を呼び、観光客に人気だ。祝言そばとも呼ばれ、会津地方では昔、婚礼の際にねぎそばを食べていたことに由来する。大内宿にある食堂15店舗のうち大半の店で味わうことができる。問い合わせは大内宿観光案内所(電話0241・68・3611)へ。
【呼び名は発祥地が『逆輸入』】高遠そばの名称は、会津地方で定着したもので、発祥地の長野県伊那市では主に家庭で食べられていたため呼び名はなかった。25年ほど前に同市の住民が訪れた会津のそば店が、高遠そばをメニューに掲げているのを見つけて地元で広めたのを契機に、同市でも商品化の動きが加速した。現在、同市のそば店などは高遠そばを核に地域振興を目指している。
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